ミース・ファン・デル・ローエ

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies Van der Rohe)のプロフィールとデザインについて詳しく紹介。

プロフィール・経歴

ドイツ(アーヘン)

1886年5月27日 ~ 1969年8月17日

建築、家具

石工の息子として生まれたミース・ファン・デル・ローエは、学校での建築教育を受けることなく、ベルリンで家具デザイナー Bruno Paul の元で見習いとなる。

建築家ペーター・ベーレンスの事務所を経て、26歳でベルリンに建築事務所を開く。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ペーター・ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともに、実験的な集合住宅を建設した。その後、ヴァルター・グロピウスの推薦により、バウハウスの3代目校長を1930年から閉校となった1933年まで務める。

1937年、アメリカに亡命し、アーマー工科大学(現・イリノイ工科大学)の建築学部長に就任。その後、シカゴのファンズワース邸などの名建築を残し、近代建築の巨匠といわれている。

フィロソフィー・哲学

Less is more

「無駄な部分を削ぎ落としたデザインが、より豊かなデザインである」 というミース・ファン・デル・ローエの名言。ファンズワース邸に代表される必要最低限の鉄とガラスで作られた建築は斬新なものだった。

God is in the details

「作り手の思いはディテール(細部)に表れる」というミース・ファン・デル・ローエの名言。ディテールのほんの少しの違いが、全体としての違いへとつながる。ディテールにこそ、こだわって作り上げるのがミース流。

ミース・ファン・デル・ローエの家具を見ると、脚の曲線などのディテールを意識せざるを得ない。バルセロナチェアの脚が直線だったら、ミース・ファン・デル・ローエの存在は忘れ去られていたかもしれない。

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椅子、ラウンジチェア、テーブル、などの家具

ミース・ファン・デル・ローエの家具

評伝ミース・ファン・デル・ローエ  ミース・ファン・デル・ローエ真理を求めて

ミースについて書かれた本

ミース・ファン・デル・ローエの本

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